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大阪高等裁判所 昭和39年(ネ)654号 判決

控訴人 多田国次

右訴訟代理人弁護士 坂本徹章

同 岡林一美

被控訴人 国

右代表者法務大臣 西郷吉之助

右指定代理人 鎌田泰輝

〈ほか三名〉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人(以下被告という。)は、「原判決を取り消す。被控訴人(以下原告という。)の請求を棄却する。原告は、被告に対し原判決添付目録記載の土地を引渡せ。原告が右の土地の引渡しができないときは被告に対し一坪につき金四万五、〇〇〇円の割合による金員及び昭和三三年一月一日より同年々末までは月額二、一五〇円の、同三四年一月一日より同年々末までは月額二、八六七円の、同三五年一月一日より同年々末までは月額四、三〇〇円の、同三六年一月一日より同年々末までは月額五、〇一七円の、同三七年一月一日より明渡済に至るまで(又は代償完済まで)は月額六、四五〇円の、各割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも全部原告の負担とする。」との判決を求め、原告は、主文同旨の判決を求めた。

≪以下事実省略≫

理由

本事案に対する原審の事実の認定(当事者間に争のない事実を含む。)と判断は、原判決に掲げられた証拠に、当審証人数見惣太郎、同武村喜義、同宍戸一雄の証言、被告本人の供述を加えて行った当審の事実認定、判断とも一致するので、原判決の理由全部をここに引用し、次の判断を加える。

1  (原告の無過失について)

被告は、旧海軍省から買収委託を受けた兵庫県知事、又は同知事より命ぜられて買収手続の衝に当った兵庫県土木部庶務課員数見惣太郎が、予め土地売渡承諾書、委任状、登記承諾書(甲二号証の一ないし三)を準備して取引に臨み、必要な書類さえあれば移転登記ができるからという態度で取引したこと、その取引は対等の立場による取引ではなく権力服従の有無を言わせない取引であったこと、甲七号証にあるようにこの取引は昭和二〇年二月一八日午後二時から日没までの三時間内に数十人の相手方を一堂に集めて取引したが、原告は、このような取引であったため、多田ヨシが隠居し、家督を被告に譲り、従って被告が土地所有権者であることを発見できなかったのであるから、原告の占有はその善意なることについて過失がある。旧海軍省は、契約当時売主から登記に必要な書類を受取っておきながら、これを使用せずに所持している。当時直ちに土地の登記をしようと思って手続すれば、それができない事情が確かめられたのであって、その点からいっても、過失がある。契約当時多田ヨシこと倉橋ヨシの年令は五四才であり、この年令の婦人は有夫の婦であることが普通で、そういう人が不動産の売買を行うには夫の許可を要したのであるから、買主は、倉橋ヨシの身分関係につきよく調査すべきであったというべく、もしその調査が行われていたら、本件取引はなかったのであるから買主はその過失の故に善意であったに過ぎない。従って、原告の占有の始めに過失があると主張しているので、案ずるに、戦争も末期に近いその頃、海軍用の飛行場の誘導路設置を目的として行われた本件土地の買収交渉が、平和な今日から見れば十分な話合がなされず、倉卒の間に行われたであろうことは想像に難くないが、そのためこの取引が有無を言わせない一方的な取引であったと認めるにたる証拠はない。被告の主張は、要するに海軍の委託を受けて取引の衝に当った兵庫県吏員が売主の多田ヨシは登記簿上の所有名義者ではあっても同人はそれより数年前の昭和一七年六月五日隠居し家督を被告に譲っていたのであったから、十分に調査してこのことを発見すべきであったのに発見しなかったから過失があるというに帰するのであるが、隠居の手続は、なされていたが、登記簿上それが現われておらず、しかも戸籍上の氏名が倉橋ヨシとなっていた被告の養母ヨシが依然多田ヨシと名乗って取引に応じ、必要書類に多田ヨシとして押印した以上それ以上の身分関係が相手方に分らぬのは普通のことというべく、このことを以て原告側に過失ありしものということはできない。又原告が契約直後すぐ登記をしなかったのは戦中戦後の混乱期に際会したためであるから、このことを以て過失ありとなすことはできず、原告側に過失があったという被告の主張は採用できない。

2  (物権変動の当事者か、第三者かについて)

わが民法上の時効による所有権取得は、物に対する一定期間の占有に与えられる法律効果で原始取得であり、承継取得ではないから、前所有主が誰であったかを確定する必要は必ずしもないわけである。しかし、移転登記を求める技術的要請と本件の場合は被告が時効に必要な期間経過後自らのため家督相続を原因として所有権移転登記をなしているので、この間の問題を解決する必要がある。本件を亡倉橋ヨシが一方では原告に譲渡によって所有権を与えるか、取得時効によって所有権をとられ、他方被告に家督相続による所有権移転を行い、被告に先に移転登記を行ったとみ、かつ家督相続による所有権取得を他の法律行為による譲渡と全く同じだとみれば、二重譲渡の場合と同じであるから、被告が優先するとみられぬではないが、家督相続は、被相続人の地位を承継するものであるから、第三者に譲渡した場合とは異っており、これと同じだとみるのは相当でない。のみならず、本件は、旧海軍省への譲渡以前に家督相続が行われていたのであるからその点でも同一ではない。

被告は一方では、原告が家督相続によって本件土地の所有権を取得していた被告の存在を無視し倉橋ヨシと買収手続を行ったことが調査不十分で過失があったと自分が所有権者であることを主張しつつ(被告に所有権がなく、多田ヨシのものであるというのなら多田ヨシが何をしようと勝手であるから、被告がこれに干渉する必要は全くない。)、他方では自らは物権変動の当事者でない第三者であるから、先に移転登記した被告が優先すると相互に矛盾する主張をなしているが、昭和三三年三月一〇日受付でなされた家督相続を原因とする所有権移転登記は、登記簿によっても明らかなように、昭和一七年六月五日の家督相続を原因とするものであるから、これは被告が昭和一七年六月五日から本件土地の所有権者であったこと示すものであり、従って昭和三〇年二月一八日頃の原告による取得時効完成時の所有権者は被告とみるのが相当である。従って被告は物権変動の当事者であり、第三者ではないという原告の主張は理由がある。この見解は、登記は登記の時から対抗力を生ずるという通常の理論に反するものを含んでいるが、それは純然たる第三者との取引がなされた場合との優劣をきめる基準になり得るものではあっても、本件のごとく占有による時効によって所有権を取得する場合の基準ではないというべく、被告は、家督相続によって昭和一七年六月五日以来本件土地の所有権者であったが、その後原告の方で時効取得によって本件土地の所有権を取得したから、所有者たる被告にそれを理由とする移転登記を求め得ると解するのが相当である。

3  (原告の占有の公然性について)

被告は、原告の本件土地に対する占有は公然でなかったと主張しているが、原告は、倉橋ヨシとの売買契約を有効と考え、戦後これを西宮市に道路として使用させて今日に至ったものであるから、公然占有して来たものというべきであり、これに反する証拠はない。被告は、原告が時効完成前移転登記につき被告と交渉しなかったことを以て公然でなかったというているがこの見解も採用しがたい。よって、この点に関する被告の主張は理由がない。

4  (時効利益の放棄について)

被告は、原告が時効完成後被告に対し所有権移転登記を求める意思表示を行ったことを以て時効利益を放棄したものと主張しているが、わが法制上不動産物権の登記は一個に限られ、時効による所有権取得の場合も移転登記を求める建前となっているので、被告にそれを求めたまでであって、これを以て時効利益の放棄とみることはできない。この点に関する被告の主張は理由がない。

5  (被告のその他の主張)

被告は、倉橋ヨシが多田ヨシの名を以て行った売買を通謀虚偽表示であるとか、その他の理由を以て無効であると主張しているが、ヨシが正式に結婚する前の氏名たる多田ヨシ名を用いて売買を行っても通謀虚偽表示といえないことは勿論、これを以て無効とみることはできない。当時わが民法は家督相続制度をとり、戸主が他家に入って婚姻するためには種々な手段が用いられたのであって、本件の場合も多田ヨシが隠居して倉橋ヨシとなり形式的に本件土地所有権が被告に移って後も実質的には支配権をもっていたため、自らが売主となって交渉に応じたものと推測されるのみならず、本件は売買を原因とする所有権移転登記を求めるものでないから、この点について判断する必要はない。

されば、取得時効によって本件土地の所有権を取得したから、所有権移転登記を求める原告の請求は理由があり、これと相容れない被告の反訴請求を排斥した原判決は、まことに相当であり、本件控訴は理由がないので、これを棄却し、控訴費用の負担につき、民訴法八九条九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡野幸之助 裁判官 宮本勝美 菊地博)

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